りた郎のblog

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マトモさと力

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プーチンと自分を比べると自分の方が1万倍以上マトモだと思っている。

プーチンと自分の力を比べると100万倍以上プーチンが力を持っていると思う。

まともでない人間が力を持つことが世の中で最も恐ろしいことの一つだろう。

宗教、政治、権威、お金。

これらの「力」と比べると、「マトモさ」はなんとも曖昧で頼りない概念である。

マトモさとはどのように育まれるのだろうか?

おそらくプーチンは自分のことをものすごくマトモだと考えているのではなかろうか?

でもそれは世間一般的なマトモさではない。

マトモでない両親の元に生まれたり、マトモでない環境で育ったり、マトモでない人たちと過ごすとマトモでなくなるのだろう。

最初からマトモでない育ち方をしたら、自分がマトモでないことに気づくことができなくなるかもしれない。

それに気づかせてくれるいい機会でもなければ。

マトモでない、且つ力を持っている人が、マトモな人をマトモでない世界に引きずり込み、マトモでない人に変えてゆく。

この連鎖をどう断ち切るか。

これは一人一人がある程度責任を持って、マトモな世の中を作るために小さな小さなアクションを積み重ねることが必要なのではないだろうか?

ちょっとマトモでない人に、「それはマトモではないように思えるのですが?」と言ってみることである。

そしてその人が強大な力を持っていて、反論しても引きずり込まれそうな時は、自分にまだマトモさが残っているうちにその人の元を離れることではないだろうか?

自分の親も、自分の先生も、自分の会社の社長も、だれも自分がマトモでなくなった時の責任など取ってくれない。

自分で自分をマトモに保つことが本当に大切なのである。

そして、マトモ基準は極めて相対的、流動的なので、時に自分のマトモ基準を疑うことも必要であると思う。

「老害」とは自分のマトモ基準が永らく更新されないことで発生するのだろう。

老人でも老害ではない人はいくらでもいる。

自分のマトモ基準を検証し、マトモ基準を更新し、同時に自分のマトモ基準を大切にし、自分のマトモ基準で周囲に働きかける、

これが世の中をほんの少しマトモに変える力なのではなかろうか?

以上